他者にわかるように書くにはどうするのか。

 初心を忘れ、ただ思いついたことを更新してしまっている。怠惰と惰性に屈服してしまっている。
 読書の感想を、他人が読んでもわかるように書くはずがアニメの印象を並べているだけだ。さらに「のだめ」の最新刊の感想も大した内容も無い。じっくり考え練りに練った文章を書きたいんだが、この日記で未だにそれを書くことに成功していない。 以下には自分への反省文。
 
 過去の体験談を書く難しさを知り、他人がどう話を展開するかをテレビや生活で少し注意して聞いている。
 どこをどう省略するのかが話をわかりやすくするために必要なことなんだとわかってきた。
 そして文章では、小説においての過去回想に注視してきた。物語の展開においての動機付けなどに必要な情報として過去想起がある場合、そのとき何を着て食ったとかは、書く場合もあり書かない場合もあった。その小説の作者によって異なるのは当たり前なのか。
 
 とりあえずは書く行為にもう少し真摯に向き合い、単語を考えて使用せねばならない。
 それから感想で面白いと書いてる私は何を面白いと思っているかを、具体的に書けないことを自覚してきた。全体的に面白いことが、どう面白いのかが他人にわかるように書けない。自身の心的印象を他人にどう伝えるかをもっと勉強せねばならない。
  
 「今日は秋晴れでした」
 例えばこう書いたとき、伝わるのは「今日は秋晴れだった」ことだけか。それだけとは思えない。そこに涼しさや大気の心地よさ、いつのまにかの季節の移り変わりへの共感を多様に訴えているのではないか。そう想定するなら、面白いと書くときも他者にはどんなふうに伝わっているかわからない。もっと考えて書かねばなるまい。
 私の面白さはこう面白いと書かねば、伝わりようが無い。今、気づいたけど同じ言葉を何度も使ってる。わかりやすさのためにも言い換えを用いて、その語を他者にどういうものか伝える機会だったのに。下手な文章で恥ずかしい。
 反省文自体も反省点が多い。