私的世迷言

 気力が無い。以下に感情的に書き綴る。
 この気力が何を意味してるかもわからない。とりあえずだるい。読書も何行か読むと内容を忘れ、ページを戻しまた何行か読むと同じように読み直す。気分を変えて未読のマンガに手をつけるも入り込めない。何かブレーキがかかってる。バッカーノも見れない。他のアニメの録画がどんどん溜まっていく。最低限のことをして自足してるのか。読書は私にとって優先順位が低いかもしれない。気力うんぬんを口にして読めてないし。ダメな感じだ。とても落ち込む。この疲弊した体感を言葉にしたい。気力が無いと端的書いたが、上述したように気力とは何かを私は明確に知らない。知らなくても書けることは不思議だが、書くことに紛れ込む思ってもない意味の含意は必然だと誰かが書いてた気がする。というか、このように書くことも私がどこかで受け取った語法の模倣に過ぎないはずだ。さて気力が無いとは何を意味してるかを問うていたのだったな。これはつまり進めない感じだ。そう、とりあえず手につかない。視野狭窄のような感じ。息苦しさもある。中心点がどこに行ってしまったような頼りなさも胸中に飛来してくる。いや、言葉で飾ってみたが今の感覚は「何も手につかない」ということがすっきり嵌まる言葉だ。
 気力が無い=何も手につかない。
 こう書くとよくあることにすぎないな。そうだ。よくあるんだ。今までずっとこの時々やってくる何も手につかない感じを抱えてきたんだった。そしていつも対処に困ったときこの感じは無くなっているのだ。
 感覚はどこかに行く。体験としてこれを何度も学んだはずなのに忘れてしまう。きっとこう書いたことも私は忘れる。いや、違うのか。こう書いていて過去想起が不意にやってきた。私はある種の感覚を忘れなていない。私は一度自分の名前を忘れたことがある。正確に言えば申し込み用紙に氏名が書けなかった。何を書けばいいのかわからなくなったあの感覚を私がボンヤリと覚えている。家で書きますとか言って立ち去ったとき私は自分の名前が出てこなかった。あのときの不安感とじっとしていられずウロウロ歩き回った記憶は一応覚えている。だから感覚は全てどこかに行きはしないのか。忘れることが都合が良いものだけ忘れているのか。しかし穴にあったら入りたい赤面の思い出は結構覚えている。忘れてしまうのどうしてだろうか。というか忘れること自体を意識的に行使できるのか。「はい、忘れた」といって自由に忘れられるのか。いわゆる無意識というシステムが働いているのかな。
 さて気力の無さを言葉にして克服する試みを意図していたのだが、何も手につかないままだ。