間違いを何度かやってしまった。
 指摘される状況にあったことを安堵もしたし、それに甘えてしまって繰り返してるのかもと内心冷や汗ものだった。 とりあえず見て聞いてるのに気づかないことが多発してる現状を自覚した。注意力がかなり無い。
 ただこの気づかなさは物心ついたころからあったような気もする。
 
 でも私としてこのようなことは避けたい。まず誤りに気づくにはどうしたらいいのか。気づくためのきっかけとはいつも何だったのか。あっ、アニメの録画忘れてたと気づくときはいつもどうだったかを想起しよう。まず録画するものがあったと思い出すことだ。このとききっかけのあるなしに関わらず、意識内容に浮かんでいるのだ。思い出してもいないことが思い出されているのだ。気づくには、それが一度頭の中に入ってることが必要ということか。知らないことを思い出せないだろう。いや知らないことを気づくことはあるのか。気づいた時点ですでに知ってたということになるか。そうじゃない。そうじゃないんだ。あれだ。そう、見たり聞いたりしてることが頭に残ってないことが問題ということだ。思い出すことが重要ではないか。えっ、忘れっぽいということか。気づかないのではなく、忘れてるだけか。いや忘れてるというより理解していないから覚えていないのか。わかってないから気づかない。間違えるのはわかってないからか。だったらわかればいい。現状のルールを把握し間違いを起こさないように心がけるのだ。って、そんなことはわかって生活しているはずだ。だがわかってないから間違いを繰り返すのか。理解力の欠落と忘れっぽさが拍車をかけてるのだろうか。気づかないのは理解もしてない事柄だからか、でも理解していたら間違えないとは言い切れないだろう。気づかないってどういうことかわからなくなってきた。気づいてないことは、気づかないと自覚できないのではないか。もうとりあえずは、事柄の把握を忘れないようにしつつ注意力を鋭敏に対処する。うわー、何も言ってないような無内容なお題目になってる。結局、具体的な対処を思いつかないことが問題のネックということか。