記憶の断片を再構成してみる

 文章練習の一つとしてオチも内容もないものを以下に書く。

 現在において思い出せる古い記憶の断片の中から一つを取り出しまとめてみる。
 私はその頃、幼稚園に通っていた。その日は少し特別な日だった。幼稚園の遠足だった。どこに行ったのかは覚えていない。園児たちを引率する先生と共に遠足の目的地まで男女二列になって歩いていた。道路を整列して歩く私たち。先頭を歩き引率する先生から、車への注意が何度か口にされる。
 そして先生が隣の男女で手をつなぐような指示がもたらされる。私も隣の女の子に手を出す。でも彼女は手を出してくれない。あれ、先生は手をつなぐように言いましたよ。どうして手をつないでくれないの。私は問う目を彼女に向ける。こっちを見ない彼女。そのまま並んで歩くだけ。
 このときの記憶が幼稚園の断片的な記憶の中でずっと残り続けた。このときは手をつなぐことを拒絶されたことにショックを受けたことよりも、大人の命令を無視したことに私はおびえた。起こられることがこわくて仕方なかった。目的地につくまで、いつ怒られるかにびくびくしっぱなしだった。
 そのあとの遠足はどうなったかは記憶が抜け落ちている。この記憶を保証するのは私の想起体験のみだ。私が思い出してることだから、あったのだというそれだけだ。真正の根拠を疑えば疑える。それでも私は過去にこの場面はあったのだと確信している。
 
 まぁ、簡単に言えば、私はキモカッた。そして自己保身の傾向が強かった。相手の気持ちより怒られて大人からの叱責を嫌がった。
 
 で、これだけの記憶の断片を書いてみた。この文字数の多さは何だ。大した内容も無い。それなのにまとめて、これだ。