昨日の夜はつい興奮して、連載中のネギまの歴史改変否定の理由付けについていろいろ書いた。改めて読むとまとまってない文章だ。作文能力の低さが露呈してる。頭を冷やしてまとめてみる。
 個人的な悲劇を理由に歴史を変えてはいけない。しかし理由によっては変えてもいい。ならば個人的悲劇が何故理由にならないのだ。悲劇をなくすことができるなら、なくしたい。人間の歴史の中でよくあることでも、その人自身にはとりかえしのつかないことがどうして変える理由にならないのだ……。
 ダメだ。うまくまとまらないままだ。
 追記。過去改変が私利私欲ではないと証明できないとやはりまずいか。ゆえの意見は妥当だな。